わたしも音楽を知らない

雪ですね。
明日は晴れるみたいだけど、
明日3/1木曜に池袋ミュージックオルグでyojikwanda+服部将典(b)+イトケン(Ds)
の4人でのライブがあります。
私たちは20:30頃から演奏してます。
予約のほうが少し安いので(1500円)来ていただける方は
ご連絡くださいね。久々のバンドライブ、ぜひ聴いていただきたい。
お待ちしております。
yojik.wanda@gmail.com

●3月1日(木)
場所:南池袋 ミュージックオルグ
http://minamiikebukuromusic.org/acces.html
開演/開場:18:30/19:00 料金:予約1500円/当日1800円(ドリンク別)
出演:ジャポニカソングサンバンチ / yojikとwanda(バンド編成) / カラトユカリ / kiwa(takahisa umehara)
yojikとwanda+イトケン(ds)+服部将典(b)20:35頃から演奏予定


ワンダが書いてた昨日の日記に
「ある音楽家のCDを全部持っていたとして、
一曲その人の曲で知らない曲があったとする、
僕はその曲を想像することができない。。」
ってのがありましたが、
それに近い体験を昨日偶然しました。


ってかそれは毎日たぶん起こっているのだけど
わたしが気づいてないだけ。


知ったら、知ってた気がしてしまう。


たとえばFree as a birdを聴いて、ああ、たしかに
ジョンレノンの歌っぽいな、と思う。
未完成だったものを、彼の作風をよく知る(というかもうビートルズ
作風でもあるけど)メンバーが仕上げれば、それは
こうなってあたりまえなのでしょう。
けど、それは聴くまではみんな知らなかった。
こんな感じの曲かく人だとは知ってたから知ってる気がするけど、
贈り物はどんなにうまい言葉で形容されても、実際目の前で
手にしてみなければわからない。
メンバーは、本人がいなくても手がかりを使って、上手に贈り物を作った。
それがワンダの言ってたクライスラーさんは大変上手だったのかもしれない。
その人になりきって作ること。
けど、いわゆるパクる、というのと、本人のつもりで作るのは、
似ているようで違うような気がする。まあどっちが上とかじゃないけど。


こっから話がすこしとびはじめます。


ともかく、人はまだ聴いていないものを聴いた、とは言えない。
どんなにその人を知っていようと、その人が今これから作ろうとしているものを
当てることはできない。
人が偉人たちの遺作を知りたがるのは、そういう、
偉人の「最新」はなんだったんだろう
ということを知る欲求なのかしらん。


これ、ライブも似たところがあって。
どんなに音源を聴いて評判を聴いて
想像をふくらませても、わかっているようでも、ライブが見たい。
そこに空気も距離の近さも含んだそのものがあるから。
評判も想像もふきとんで、聴いたその瞬間の、
自分の感覚がすべてになる(はず)。
ときに私はyoutubeを観て、アルバムの1曲を試聴して、
知ったきもちになっている。
でもライブに行ってみて、自分が「なにも知らなかった」ことを、知る。


知ってたけど知らない。
知らないけど知ってた気がする。


で、やっとこさその昨日の体験の話です。


ランタンパレードという人が大好きなのですが
この方は(よく知らないけどたぶん)打ち込みやサンプリングで音を作って
ストイックな感じのうたをのせてアルバムを作ってました。
ジャンルで説明すると間抜けになるくらい
いろんな感覚がすんなり混ざりあっていて、
素晴らしいポップスでもあり、歌詞にはエッジが効いて
混沌とした中にどこか突き抜けた雰囲気を出すのがとても上手だと
思っていました。


私は音楽最新事情に恐ろしくうといのですが
最近ランタンパレードがバンドをはじめたということを珍しく知りました。
すごく聴きたいと思っていたのですが
その前にこの最新アルバムの曲をまず聴いたのです。
(最新といっても数ヶ月前の発売ですが)


ここには、一番新しいランタンパレードさんがいて、
私はこれを知っていたようでまったく知らなかった。
以前とは違っていてびっくりしたんだけど、
新しい場所に踏み出して行った姿がこれなんだ!
と興奮したのです。


その姿は、まったく知らなかったようで知っている、
というのにふさわしく、知ってたようで、聴くこの瞬間まで
その形は見えなかった!(当たり前のこと言い過ぎてて笑っちゃうな−)
でもそれは、私にとってまったく未知のものではなく、彼のファーストから
聴いていた中に、どこかしら感じ取ったすごく直球な球の投げ方や
うたを取り囲む音たちをけして飾りのように扱わない感じといったものが
いきなり輪郭をくっきりさせて立ちあらわれただけなのかもしれないです。
まるで彼が「最初からぼくはここにいましたよ」と言ってるようにも思える。


うーん、うまく表現できなくて困ってますがこうも言えるかな?
素敵なメロディやフレーズや歌詞や、絵でも、映画でも
良いものを観たときって「これがあったのか!」という気にさせられたり
しませんか?私は自分に遠く及ばないくせにそんなふうに思って感動します。
ぼんやりと思ってるだけなのと形にするとの間には、
いったい何万光年の距離があるのだろう。
たぶん、どんなに簡単そうでも、誰もができそうでも、
その人だけがそれを思いつくことが、本当に本当に尊くて美しいのかも。


ランタンさん(だんだん省略されてく)は、
時間をかけて今の場所にたどりついたのだろう。
新しく更新されるその姿を、私はこれまでの作品から気配は感じていたものの、
こうして聴かせてもらえるまで知らなかったんだ。


すでに見えたものの批判や解説は簡単で、知ってしまえば誰もが
知ってたような顔ができるんだけど
それがこの世に生み出されるまでは誰もその怪獣の形を知らなかった、
ということが恐ろしく神々しく、新鮮に思えることがあります。
だって、その人が生き続けて作り続けてくれていることで
その怪獣を私は目にすることができる。
自分の想像ではうすぼんやりしかみえない霧みたいなものを。
たくさんの世界の形を、知っているようで知らなかった世界のありようを。


だから、大好きな音楽家が、新しい場所に向かって進んで行くことは
聴き手さえをも、一緒に新しい場所へ連れて行ってくれることなんだと
すごく思うのです。


そう、だから私は音楽を知ってるけど知らない。
知らないけど、少し知ってる。



以上!長い!


↓あれやこれが頭に浮かんでは消える。
いろんな良い音楽を彷彿とさせながら
やはりそれは全部飲み込まれて音楽の歴史は更新されていく。



ランタンパレード「木の葉散る」