無題

私の友だちがいなくなって
半年が過ぎました。

信じることができなかったので
人に伝えることもできなかった。
自分のなかで腑に落ちてないことは
言葉にしづらい。

きのうやっと
ちょっとしたひとつの区切りがついた。


彼女と出会えたことは
私の運命をたぶん変えたので、
会えなくなっても
私のなかで居座り続ける。

100この言葉よりも
黙って演奏してくれたことに感謝するけど、
私はもっと彼女と話したかった。
たぶん話すべきことがあったのが今になってわかる。

残した断片や会話が
ふとしたときに押し寄せてくる。

どこにもいかないけど
それを心にただよわせたまま
また会える日のことを考える。

そのかけらを、荷物としてもったまま
どうやって、どこに行こうか。
残された人とつながることで、
彼女はふしぎな出会いをまたくれた。

死んだ人は死んだあとも
生きてるかのように影響をまわりに与えつづけて
不在という形で存在するみたいだと思った。

いなくてさみしいという気持ちが
好きだという気持ちを証明してくれるけど
時間の進行とともに
それもだんだん忘れていくのだろうと思うとちょっと怖い。

しかし
死んでも終わらないんだと思うとそれもちょっと怖い。

きれいごとが大嫌いな彼女に、私から言うことは何もないです。

でも、こんなことばが、ふと出てきた。



  演奏とは
  とてもプライベートな
  愛の 記録