犬のこと

(9/4にニューアルバムの発売が決まったけれど
その前にどうしても書いておきたいことがあります。
6月にはどうしてもうまく書けず、今のタイミングに
なってしまいました。長いです)



うちの犬は5月の終わりに死んだ。
4月の終わりに急に具合が悪くなったから
ほぼひと月の闘病だった。
15年間うちで一緒に暮らしていた。
昔、子どものとき飼ってた犬が死んだとき、
何の心の準備もなく、
その後、犬の幽霊に悩まされた。
さすがに実体化はしないのだけど、
存在がそこにあるように感じてしまうのだ。
(当時はペットロスという言葉はなかったので、
余計に自分がおかしいのではないかと思ってしまい、
死んだ犬に執着している
ことを周囲に打ち明けられなかった)
あらためて今回看取ってみて、
前回の犬の死を教訓に
いろんな心の準備をしてたけど、
死と向き合うことはやっぱりぜんぜん
簡単じゃなかった。
つまり死を受け入れるって、準備とか
そんなものとは結局引き換えにはできないなと
いうことだけど。
苦しむのを長引かせる延命をしないとか、
できるだけ一緒にいてやるとか、
自分の心が軽くなるためのあれこれは
やっておいて良かったとは思うけれど、
死の瞬間は、そのすべてを吹き飛ばす
くらい、重たかった。
あんまり重たくて、固くなる犬の体をさわりながら
自分の背中におんぶおばけが乗っかったみたいに
地面にめりこむかと思って怖かった。


昔飼ってた犬の幽霊が見えたみたいに
今回もやっぱり幽霊が見える。
歩く足音の空耳がきこえ、鳴き声が聞こえ、
いつもいた場所にその姿が見えてしまう。

家族とは、日常の関わりの
反復動作が互いを結びつけていて、
それを断ち切られたとき、置いていかれてしまった
ほうは現実についていけずに幽霊を
みるのかもと思うようになった。
えさをあげるとき、なでるとき、抱き上げるとき。
お風呂に入ると脱衣所に入って来てガラス戸の
向こうにうっすら見える存在。
鳴いてキャベツをねだる姿。
怒られてしょぼくれた表情。
おはようと声をかけて舐める舌の感触。
おまえはなんで先に行ってしまったの、と
たかだか長くても寿命20年の動物に
どうしようもないことをくよくよ思う。
でも、考えてみれば
子どもに先に死なれるのを
仏のような顔で見てられるわけないのだ。
どんなに老犬と言われようと、
私より少ない年数しか生きていない
小さな家族が、私より先に
死んでいいわけない。絶対おかしい。

が、
おかしくてもなんでも、彼らは
体内時計に従って不服もなく生きている。
そこが動物のすてきなとこだ。
そして、
時間がくれば手の届かないところに
未練も躊躇もなく走って行ってしまう。
人間と動物はお別れをくりかえす運命なのだ。
(私はペットという言葉がちょい苦手)


いつもならあるものがないこと、
何回でも忘れてまた声をかけてしまうことで
不在を確認してしまう。
実家の犬は去年死んだのだけれど
母親は、ときどきもういない自分の犬を
「こんな時間だ、散歩させなきゃ」といっては
「あ、いないんだった」と笑う。
日常のさまざまな瞬間に、不在の大きさが
立ち上がってくる。
幽霊は、気が済むまで現れる。

でもそれもだんだん薄れていくのを知っている。

思い出すのも少なくなって、
またちがう犬や動物を飼ったりもする。

けど少ない機会でもなんでも、こうして
私が犬を思い出すときには
いつも大好きなきもちと
ともに思い出せるということ、
私が知っていた小さな動作やクセや、
あっというまにその触れた感触までも
よみがえること、
その感覚は自分だけにしかわからないけど
死ぬまでずっと持っていてもいい幸福な感覚なんだと、
幽霊はいたいだけいればいいと、
今は少しあたたかいきもちで考えています。
正直3割くらいはまだやさぐれた気持ちでいるんですが。


うちに来てくれて本当にありがとう。



先日聴いて、素晴らしかった音楽。
なにか今のきもちにぴったり。

図書館/図書礼賛


次こそアルバムのこと書きますー!!